5年振りのNYCで気づいたこと思ったこと
ボクが帰ることを悟ってか既に昨日からバーニーはよそよそしい。寂しさに耐えようと必死みたいだ。犬ってのはなんでこんなに人間ぽいんでしょう。
また会えたら良いね。バーニー。
空港行きのバスのりばがちょっと移動してましたが何てこと無くラガーディア~デトロイトの人となりまして、ちょっと心配していた乗り継ぎ時間(予定では30分ほど)も、デトロイト発の遅延があって超楽勝。30分じゃさ、荷物の積み替えも出来ないよね、きっと。
ちなみに帰りの乗り継ぎは荷物が出てくることもなく出国は既に済んでいるので、ゲートを幾つか移動するだけ。30分もあれば余裕でした。
ゲート脇にキティちゃんがいました。
5年振り2度目で気づいたこと
只座り込んで『お慈頂戴』しているホームレスが目につかない事に前回とっても関心したのです。積極的に一発芸をしたり地下鉄のチケット売り場で1$だけ足りないアピールをしていたり、最悪でも直接『金をくれ』と自ら進んで行動している人ばかりで、『流石アメリカ』と思った次第。
わが町湘南台でも、某工場が大型リストラした際には駅にホームレスが溢れて空き缶を前に1日中ずっと座り混んでました。『それだけ根性あれば働けるでしょう』と突っ込むずに居られないずっと正座の人も居ました。
2015年のNYCにはそんな日本的なホームレスが増えていました。
わざわざダンボールに『HOMELESS』とか書いてただ座っている。しかもとっても若い人たちでしかもしかも女性まで居る。これは何だかとっても残念でした。
どうやら、白人警官による黒人射殺事件を引き金した一連の人種差別問題に対するデモに参加するため、地方から出てきた若者たちがそのままニューヨークに居座っているようで、きっとそのうち消えていくのでしょうがとっても違和感でした。
地下鉄車内などで演奏したり踊ったりして金銭を得ると逮捕されるようになったのも拍車を掛けているのかもしれません。
(相変わらず居ますけどね。とくにイーストリバーを渡るDekalb~Canal間はほぼ毎回遭遇)
もうひとつは新たに関心した点。
ニューヨーカーはとにかく自分の言いたいことをきちんと相手に伝える。「Thank you」「you’re welcome」はもちろんのこと、意外かもしれないけれど徹底的に「sorry」を伝える。
この伝えるというところが兎に角徹底的。
道や地下鉄で身体が触れたらどっちからぶつかったか構わずとにかくすぐさま『sorry』。そのsorryに反応がないとなると反応するまで(伝わるまで)繰り返しsorry。伝えるためにわざわざ肩をたたいて目を見たりもします。
渋谷あたりの外人割合はもの凄く上がってますけれど、スクランブル交差点などで日本人もこういう対応をしていかないと、せっかくの評判が変わってくるかもしれません。『混み合ってるんだからしょうがない』『お互い様』みたいな慣れ合いに近い連帯感、一体感が必要以上に蔓延しているから注意したいと思います。
『愛してる』って言葉にするのも一貫ですね。『言わなくてもわかるでしょ』は勝手な妄想。言わななきゃわからない。どんなに思っていても伝わらなきゃ意味が無い。
ミュージカルのホールでもそんなシーンに遭遇。
座席を乗り越えて自分のシートに座った女性に対して、案内係の女性が猛烈に叱責。距離があったの聞こえない振りでごまかそうとしていると、わざわざ階段を降りて本人の目の前まで来て『ダメでしょう!』とか言うのです。
これは白人(客)と黒人(係員)という人種の問題もあるようでしたけれど、概ね『伝わらなきゃ意味が無い』というマインドは皆持ち合わせているように感じました。
それもこれも自由のため。妙な連帯感とか一体感に甘えていたら自由は手に入らないわけだからね。
食べ物と物価の高さはどうしようもありませんが、やっぱり賑やかで刺激的で騒々しくてエキサイティングな街です。ニューヨーク。
個人的にお気に入りの消火栓シリーズの写真をここに。
でね、ほどなく日本へ着陸って時にわたされる入国カードが・・・・
まいど。いったいナニジンに見えるのよってwww。
たった2度目でもドキドキは少なくなることにも気付きました。やっぱり“初めて”には敵いません。次はどこでドキドキしましょうか。